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夏の甲子園中止 報道されない実状

野球
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​​​​​​​​​​​​​​​​     夏の甲子園中止 報道されないありガチな話

 センバツに続き夏の甲子園も中止が決まった。
 これが桑田、清原が3年だった昭和60年だったら…………強行してたでしょう…………牧野直隆が(笑)。夏の甲子園中止は大正7年の米騒動と第2次世界大戦中の昭和16年から20年まで以来。いずれにしても大日本帝国憲法下時代の大昔の出来事で、平穏な平成の時代に生まれ育った現役球児たちにしてみれば………
 「ありえないッ !!   こんなことって………」
 だろう。蛇足になるが、甲子園球場の完成は大正13年。米騒動当時の会場は鳴尾球場だった。………「大正初! 夏の鳴尾中止」………なんて報道されたのだろうか? ちなみに米騒動(米価急騰に抗議する全国各地での暴動)を巡っては、当時の寺内正毅首相が辞任。平民宰相、原敬内閣が発足した。その3年後に東京駅で刺殺されちゃいますが………安倍晋三サンの去就は…………。
 ………と、まあ球児の無念さばかりが報道されていますが……中には中止を喜んでる球児もたくさんいるだろう。甘い考えで中堅以下レベルの野球部に入ったものの…………レギュラー争いという名の出世競争に敗れ、引退まで補欠が確定していた最上級生だ。これが強豪校ともなると、補欠には早い段階で引退試合を用意してくれて、進学・就職なり、バイトなり次のステップに踏み出せるのだが………中堅以下レベルだと控え選手として、背番号はもらわされるから、引退日はレギュラーと一緒やる気ないのに。この引退日までの道のりは辛く、長い………かといって人間、中々スパッとやめられないもの。部活とはいえ。ブラック企業と違って、少ないながらもカネもらえるワケでもないのに………。加えて、同じ学年でも補欠とエース、キャプテンクラスとでは平社員と役員ぐらいの “ 階級差 ” が生じてしまう。軽々しく、
 「ヤル気ねえ………   やめてえ………」
 なんて、グチはこぼせない………社長や副社長にこぼせないように。
 野球部にさえ入らなければ…………授業が終わったらすぐ帰れるのに………日曜なんか1日中、家で好きなことできるのに………指折り数えて “ 刑期満了 ” で引退の日を待ち続ける………延々と。そんな中、まさかの引退半年間前倒し………奇跡の朗報じゃ。こんな嬉しい “ 恩赦 ” はこれからの長い人生でもそうそうないだろう………開くはずのない夢の扉が開いたのだから。
 なのに………大はしゃぎで喜べない、君たちにエールを送りたい。

  ♬  ああ、栄冠は〜〜 ジミに輝く

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