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麒麟では? 洞察 本能寺の変4

歴史
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 とうとう4回目になってしまいましたね。今回こそ、完結まで書き切れるんではないかと……本編では……光秀と煕子、信長と帰蝶が熱愛中で、本能寺はまだまだ先………
 前回の最後は野心家・秀吉とヘッドコーチ格である黒田官兵衛のコンビがおとなしく信長の家臣でいるハズないと……。その先の展望・野望を実現すべく軍師官兵衛が謀略指南書を施していただろうと。2014年の大河ドラマでは主人公が稀代の腹黒男がじゃシャレにならんから、岡田准一さんが清廉潔白な黒田官兵衛(如水)を演じていましたが……(笑)。
 その黒田官兵衛が施した謀略指南書の内容とは…………史実の通りです。
 本能寺の変勃発をうけて、信長の三男・信孝の名前を使って光秀を討伐(中国大返し→山崎の合戦)、その信孝は二男・信雄の名前を使って自害に追い込み(賤ヶ岳の戦いで信孝の後ろ盾だった、柴田勝家敗死)、信雄は家康ともども調略でまるめこみ(小牧・長久手の戦い)、気はつけば株式会社織田の看板は株式会社サル……違うか株式会社羽柴に。………と、ここまで読んでくれた方、腑に落ちないでしょ。秀吉と光秀は成り上がり者どうしで結託している自論なのでは……? 本能寺の変の “ 吉報 ” を受けて秀吉軍は毛利攻めを早々と切り上げて、京へ………。光秀はこの「中国大返し」を密約通り、クーデターを成就させるべく援軍と信じて疑わなかった。そう、光秀は秀吉にハメられ、謀反人として討伐されたのだ。
 「約束が違う!
 信長の最期の言葉が『是非に及ばず』なら、光秀の最期の言葉はそれだったかもしれない。そもそも邪魔な信長を抹殺するという点では秀吉も光秀も一致していた。が! 抹殺後の政権構想、国家運営においては2人は大きく異なっていた。
 保守的な光秀は日本の将来を考えれば、朝廷が手厚く保護するカタチの室町幕府再興がベスト。室町幕府を踏み台にして日本やアジアを牛耳ろうと目論む信長は抹殺すべき………と考えていた。一方、大坂城築城や文禄・慶長の役など一連の秀吉プロジェクトは信長の構想を受け継いだものと言われている。ただ、野心家・秀吉としては、部下としてやらされたんじゃ不完全燃焼。トップとしてやり遂げたのでなければ、彼の自尊心は満たされない。秀吉からすれば、信長から貰えるモノは全て頂いてしまった………信長なんぞ、もう用済み。利用価値ナシどころか目の上のたんこぶでしかない。
 かくて秀吉は、一致していた部分が成就されるやいなや用済み………と、光秀を抹殺。史料による裏付けはないが、これが本当の史実だろう。しかし、これではただの謀略男略奪王。いくら実力・能力があっても、家臣や民らの支持を得なければ天下人にはなれない。
 そこで、秀吉がとった策が………続きは次回5にしますか。
 やっぱり、最後まで書けませんでしたね(笑)

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