『本能寺の変・オリジナル説(自論)』が数えて第3回目になってしまった。毎回、毎回完結まで書こうと思っているのだが…………書いているうちにすぐ「1回の分量はだいたいこのぐらいライン」………に到達してしまう。
元々は、大河ドラマ「麒麟がくる」のスタートを2週も遅らせてしまった、S尻さんにツッコむというテーマだったのだが…………。
前回2では………明智光秀が信長を討ったんなら、信長にも家臣を討とうとする思惑があったに違いないと推論。そのターゲットは? ………光秀と秀吉………という事になってしまう。現代の世の中なら無名の若者の才能を発掘して、ベンチャー企業が株式上場するまでの一躍を担わせた………などというサクセスストーリーが完成すれば「人を見る目、人を育てる才覚」を賞賛されてやまないが、当時は悲しかな身分社会。どこの馬の骨ともわからん連中を使って………と冷ややかな目で見られなくもない………。
そこで私が唱えるのが………『逆・本能寺の変』だ。この逆・本能寺の対立軸を探っていくと………ズバリ、「 信長家臣団 vs 秀吉家臣団 」。
『逆説の日本史』で知られる井沢元彦 氏ら信長を高く評価する歴史家は少なくないが、抱えるブレーンとのトータルで考えると秀吉は信長を凌駕すると私は考える。
弟の秀長をはじめ、黒田官兵衛、石田三成、福島正則、加藤清正、大谷吉継………他にも名前ぐらいしか史料に残ってないだけで、実際には彼らに勝るとも劣らない功績のあった家臣も秀吉軍団には何人もいただろう。速水守久とか野々村雅春とか………(こういう史料に残っていない部分を憶測で語るのは、歴史学界ではタブーとされているのだが、それをできてしまうのが素人ブログのいいところ)。
そして秀吉は……ライバルとして競いあってきた来た光秀に結託を持ちかける。
「明智殿、我々は命がけで上様のために戦ってきたのに、用が済んだら抹殺にかかってくるようですぞ。佐久間信盛しかり………。しかし、それはまだ時期尚早。それなら、その用が済む前に……」
実際、本能寺前夜の信長家臣団の序列は一に光秀、二に秀吉。この2大派閥が結託して続く丹羽長秀、前田利家、滝川一益あたりの重臣らを秀吉得意の調略と裏金で操ればクーデターの成算は十分。
巷間、秀吉と光秀はライバル同士の犬猿の仲と語られてきたが、秀吉ほどの野心家なら、そんなのは中間目標。その先の展望・野望を描かないわけがない。本当のライバルは光秀ではなく……柴田勝家……でもなく……信長、お前だ! ……と。
秀吉の野望を成就すべく水面下では軍師官兵衛………オウム真理教でいうなら諜報省トップ、故・井上嘉浩か………(笑)によって謀略指南書が着々と………イカン、またラインに到達してしまった………続きは、次回4で。
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