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麒麟では? 洞察 本能寺の変2

歴史
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 本日は……結論をジラしてしまった『本能寺の変・オリジナル説(自論)』の続きをアップしようかなと。マスク探しでそれどころじゃない? 
 ……本家「麒麟がくる」は7回分の放送を終了。信長の父、織田信秀が十兵衛光秀の主君、斎藤道三に同盟を申し入れるところまで来ましたね。ようやく、大河ドラマを本格的に愉しめる………フィクションとノンフィクションの狭間を “ 遊泳 ” できる領域に入ってきたというか………気になる視聴率も初回以降、徐々に下落していくありがちなパターンを脱したようで………。
 ………本題に戻って​​………「天下布武」成就に見通しが立ってくると、潮目が変わって来た。いや、社長・信長が「天下布武」の成就に向け、次のステージに入ったのだ。タブーの真意を悟った秀吉と光秀は………​CMのあと、また同じシーンから(笑)
……ようは、いくら戦国の世とはいえ、素性のわからない中途採用組を親族や譜代衆を超えて家臣団の要職に据えることは「禁じ手」だった。しかし、信長も人の子、天下布武成就の見通しが立ってくると、より戻し………息子や一門衆を家臣団の要職に配置する社長・信長の意図が見え隠れして来た。目標が達成されたら、中途採用組なんぞ、用済み……まだ、格式や伝統を捨て切れない時代背景だった。
これが現代の会社組織だったら、社長のイスは息子に譲ってもそれなりのポストや待遇は用意してやるものなのだが、戦国の世では殺るか? 
​られるか? 用済みになった外様幹部の処遇は…………ズバリ、『 逆・本能寺 !! 』。智将と称される秀吉、光秀のことだから、それは十分に警戒していただろう。しかし、天下布武はまだ未完成。秀吉、光秀を​殺る……「逆・本能寺」決行は、もう少し働いてもらってから。まだ早すぎる…………しかし、本家本能寺は実際に決行された1582年6月が絶好のタイミングであり時期だった。
​​ で、あるが………『逆説の日本史』で知られる井沢元彦 氏は本能寺の変「光秀・単独突発説」を唱える。その根拠は、計画に基づいて決行した謀反は、当代随一の情報収集能力を備えた信長家臣団。事前に察知して、回避もしくは鎮圧できないわけないと推論するのだ。………事実、松永久秀、別所長治、荒木村重らの謀反失敗はよく知られたところ。ゆえに、光秀が成功したのは突発的だったからに他ならないと。
しかし、私は………秀吉家臣団はその上をいく頭脳集団であったと考える。弟の秀長をはじめ、黒田官兵衛、石田三成、福島正則、加藤清正、大谷吉継、竹中半兵衛………は、もう死んでたか………さらに​​
………続きは次回3に先送りしますか。
ヤバイ………予定通り、ウソをついてしまった(笑)

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