『平成』という船を降りて、『令和』という新しい船に乗り換えた日本国民の新たな旅立ちが始まる…………道頓堀で改元ダイブとかスクランブル交差点で令和カウントダウンとかやってる連中は平成をしみじみ振り返り、新たな気持ちで新天皇と令和を迎える……などという心構えはないんだろうが…………単なるバカ騒ぎの口実でしかないッ!
前天皇陛下は特例によって憲政史上初、202年ぶりとなる生前退位を実現されたが、英断というよりは、ごくごく自然な流れなんではないかと。
天皇皇后両陛下に限って「定年退職して、余生をのんびり過ごす」という “ まったり ” が認められない制度(皇室典範)なのは…………天皇が政治理念を実現するための「万能のジョーカー」だったから。
顕著な例で言えば幕末の孝明天皇。外国嫌いの孝明天皇は徹底した鎖国継続論者。しかし、西洋各国が開国を迫る中で日本が鎖国継続を押し通せば、圧倒的な軍事力で植民地化されてしまう。常識的に考えれば開国なのだが、天皇のご意向に背いたら国賊扱い。政治の表舞台から抹殺されてしまう。時のキーマン西郷隆盛、徳川慶喜、岩倉具視らの考えは一様に開国やむなし。さあ、どうする??? 諸説ありなのだが、よく言われるのが孝明天皇毒殺説。これによって、幼少の明治天皇が即位。政治の流れは一変! 時の権力者の面々は明治天皇を操って各々の政治理念を実現………徳川幕府、徳川慶喜を過去の遺物へと追いやり、明治新政府を誕生させた。
要するに敵対する勢力は自分の意見など聞いてくれるワケないから、天皇の意見ということにすり替えて納得させるという手法で、こうした天皇の政治利用は敗戦まで続いた…………工藤公康監督のごとく話が長くなってしまったが、つまるところ今はそういう時代ではないのだから、終身在位制を貫く必要はないのではと。
……もっとも明治以前は平均で5年に一度改元。121天皇の下で243の元号が定められた。天皇の生死に関わらず、地震が起きた、大火事が起きた、疫病で死人が多数出たで、そのたびに気分一新の改元が頻繁に行われた。
1573年8月には「天正改元カウントダウン」などと称して、安土城の前に大勢の民衆が集まり、堀にダイブするわ、天守閣によじ登るわ、酔っ払って石垣にションベンするわで、信長がブチギレ。農民や足軽が多数打ち首にされた…………と、あの「信長公記」にも記されて…………ないない。
最近のコメント