PR

麒麟では? 洞察 本能寺の変1

歴史
この記事は約2分で読めます。


​​​​​​​​​  「麒麟がくる」ではどう描かれる? 本能寺の変を洞察する

 大河ドラマ「麒麟がくる」……カレーグラを食べながら、土曜昼の再放送で観るのが習慣化している。
 脚本の池端俊策先生は「本能寺で信長を討った明智光秀」………のイメージにとらわれ過ぎないで人間・明智光秀の生涯を満喫して欲しいと語っている………が、明智光秀といえば本能寺の変。そして、438年が経った今でも解明されていないその動機。動機については様々な説が唱えられ、疑問の矢が放たれ続けているが池端先生が描く「本能寺」は? 年末に明らかになる “ 解明 ” が気になる……気になる………。
 ………というワケで本日のテーマは、約束していた「本能寺の変・オリジナル説(自論)」です。
 まず………そもそも、なんで『 』なのか?  時の権力者「織田信長」が横死したというのになぜに動機の詳細を記した史料が残ってない? 名も無き農民の横死じゃないですよ、信長の横死ですよ、ノ・ブ・ナ・ガ! そこにのちの天下人となったサル………ハゲネズミ………羽柴秀吉の存在が見え隠れする。
 次……元々信長の織田家は守護代の家来、それも傍流。室町幕府の組織図という観点からすれば、決して高くない家柄………それが、信長のスタートラインだった。そこから「時の権力者」………つまり、下克上貫徹に最も貢献した家臣といえば? 羽柴秀吉と明智光秀だ。この2人、信長の親族・一門衆でもなければ、柴田勝家や前田利家、佐々成政のように代々織田家に仕えてきた譜代衆でもない。にもかかわらず………信長は「天下布武」成就のため、中途採用のこの2人を一門衆や譜代衆を超える待遇で大役にあたらせた。信長軍団躍進のツートップだ。(戦国時代は実力次第………と思われがちだが、当時でもこういう家柄度外視の抜擢はタブー。が! そのタブーをあえて犯したからこそ、歴史が大きく動いた………)
 しかし………「天下布武」の成就に見通しが立ってくると、潮目が変わって来た。いや、社長・信長が「天下布武」成就に向け、次のステージに入ったのだ。タブーの真意を悟った秀吉と光秀は………続きはまた、別の機会で。
 ………ようやく、約束に答えると思いきやまた破ってしまった(笑)………もしかしたら、“ コロナ ヒマ ” で興味の扉が開きすぎて………再​​​​​​​​​​ “ じらし ” に………はしませんよ……(予定)。​

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました